「壓倒的筆量」中國人首次芥川獎楊逸先生


「圧倒的筆量」中国人初 芥川賞に楊逸さん
「壓倒的筆量」中國人首次芥川獎楊逸先生

第139回芥川賞、直木賞(日本文学振興会主催)の選考会が15 日、東京・築地の「新喜楽」で開かれ、芥川賞は中国籍の楊逸(ヤン・イー)さん(44)の「時が滲(にじ)む朝」(文学界6月号)に決まった。中国人初の 芥川賞作家となった楊さんは会見で「凄い幸せ者」と喜びを爆発。直木賞は、作家の故井上光晴さんの長女、井上荒野(あれの)さん(47)の「切羽(きり は)へ」(新潮社)が選ばれた。

第139次芥川獎,直木獎(日本文學振興會主辦)的選拔會15日,於東京·築地的「新喜音樂」召開,在(文學界6月號)中確定了芥川獎是中國戶籍的楊逸先生(44)的「時が滲(にじ)む朝」。成為了中國人首次的芥川獎作家的得主楊先生看見「厲害的幸福者"凄い幸せ者"」時非常喜悅。直木獎,作家的已故井上光晴先生的長女,井上荒野(47)的「切羽(きり は)へ」(新潮公司)也雀屏中選。

 楊さんは丁寧な日本語でゆっくりと「1人の外国人として、日本で小説を書いて、こういう形で評価していただき、感激しています」と語った。
 楊先生用謹慎認真的日語談了「作為一個外國人,在日本寫小說,以這樣的形式被評價,感激著」。

  受賞した時のために用意していた紺色のワンピース姿。「(受賞の)電話がかかってきて急に緊張して、何を伝えられたかすっかり忘れてしまった。その後、九 州に住んでいる妹に連絡したら“本当は勘違いなんじゃないの”と言われて、自分でもそうかもと…」と苦笑。多少イントネーションの違いはあるものの、記者 団からの質問には穏やかな口調で答えた。

 為了獲獎了的時候的準備的藏青色的布拉吉身姿。「突然接到(獲獎的)電話很緊張,完全忘記了自己說了什麼。之後,與住在九州的妹妹聯絡時告訴我"真的沒錯",自己也那樣…」苦笑。雖然多少有聲調的差異,但是對來自記者團的問題用平靜的語調回答了。

 2度目のノミネートで栄冠を射止めた。今年1月発表の前回(第138回)芥川賞候補作品「ワンちゃん」は、選考委員から「日本語がつたない」「技術が足 りない」と指摘された。日本語での第2作の今作品に関しては「他の作品より圧倒的な筆量のある作品。作者の国籍や母国語は全く問題にならなかった」と最終 的に残った2作品のうち、8人の選考委員中5人が票を投じた。そんな経緯を踏まえて「挫折は凄い必要だと思う。日本の若い人は幸せすぎて挫折が足りないか な」と話す一幕も。受賞作でモチーフにした天安門事件は「一番影響を受けたこと」と位置づける。
 由於第2度的提名得到了榮冠。今年1月發表的上次(第138次)芥川獎候選作品「狗」,被選拔委員指出了「日語不好」「技術不足」。有關在日語的第2作品與現在作品「有比其他的作品壓倒性的筆量的作品。最後地對作者的國籍和母語完全不成問題」留下了的2作品裡面,8人的選拔委員中5人投了票。踏上那樣的經度和緯度「想必要挫折的厲害。說日本的年輕人太幸福挫折不足」一幕也。由於獲獎作品要的動機是對天安門事件賦予「受到了最被影響的事」地位。

 中国ハルビン市生まれ。大学4年の87年に来日、皿洗いなどで日本語学校の学費を工面した。捨てられていた歌手・松田聖子のテープを拾って日本語の勉強 に使ったりもしたという。日本語の小説を読みあさり勉強し「中でも好きなのが筒井康隆さんの作品」。好きな日本の言葉については照れながら「“土踏まず” は凄い笑えるし、凄い感動しました」と話し、笑いを誘った。
 中國哈爾濱市出生。大學4年的87年來日本,洗盤子等設法了日語學校的學費。為學習日語據說也做了揀被扔掉的歌手·松田聖子的帶子來使用。探尋學習日語的小說「尤其喜歡的筒井康隆先生的作品」。關於喜歡的日本的言詞一邊羞澀一邊說「"腳弓"一邊很好笑,一邊很感動」,讓大家也笑。

 記念すべき受賞が北京五輪イヤーと重なり「凄い縁を感じます」。興奮はいつまでも冷めない様子だった。
 可能獲獎紀念與北京奧林匹克同一年「感覺到非常的有緣」。興奮像是永不會變冷淡的樣子。


 ◆楊 逸(ヤン・イー)楊 逸(ヤン・イー)1964年、中国黒竜江省ハルビン市生まれ。お茶の水女子大卒業。日本にある中国紙に勤務時代は、中国語で 小説を発表。日本人と結婚したが、数年前に離婚。現在は中国語講師をしながら高2の長男、中1の長女を育てている。東京都在住。
 ◆楊逸,中國黑龍江省哈爾濱市1964年出生。茶的水女子大學畢業。工作於日本的中國紙時,以中文發表小說。與日本人結婚,不過,數年前離婚。現在一邊做中文講師一邊培育著念高中2長子,念中學1長女。目前居住於東京。

[ 2008年07月16日 ]

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