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飯島愛さん死去 台湾有力紙1面トップ

【台北27日小山田昌生】元タレントの飯島愛さん死去のニュースが、台湾で大きな話題となっている。有力紙、中国時報が25日付の一面トップで報じ たほか、他の各紙も特集紙面で経歴などを紹介。テレビ各局も連日、謎を呼ぶ死因や芸能界での交友関係について詳しく報じている。
飯島愛さんの死去を伝える台湾各紙

 台湾で民 主化や文化開放が進んだ1990年代、飯島さんの出演した日本製アダルトビデオは「自由のシンボル」として一気に若者の人気を集め、2000年出版の自伝 的小説「プラトニック・セックス」の中国語版も十数万部を売り上げた。地元評論家は「彼女は台湾男性共通の恋人だった」とコメントした。

  飯島さんは数年前に台湾を訪れた時に占い師に「3年後、あなたはこの世にいない」と予言されたと、日本のテレビ番組で話したことがあるが、運勢判断したと される占い師は台湾メディアに「健康上の不安を指摘しただけで、言葉が通じず誤解された」と語り、飯島さんの死と占いの関連性を否定、火消しに躍起になっ ている。

=2008/12/28付 西日本新聞朝刊=

【記者ノート2008年】台湾少年工の大和魂


大和市内の台湾亭を訪れた呉さん

 「この道が宿舎から工場までの通勤路。みんなで軍歌を歌いながら約20分かけて歩いたんです」。大和市上草柳のアスファルトの道路を、近くに住む呉春生さん(79)は見つめ、60年余り前を振り返った。

 工場とは戦時中、旧日本海軍厚木飛行場(現米海軍厚木基地)北側の座間、海老名市にあった「高座海軍工廠(こうしょう)」。呉さんは、この軍需工場で、台湾出身の少年工約8000人のうちの1人として戦闘機などの生産に携わった。

 原っぱだった通勤路周辺は、今は住宅街。当時の面影はない。だが、忘られつつあった高座海軍工廠や台湾少年工のことを「この地域の人たちも、知っ ているかもしれない」といまは思う。今年10月、元台湾少年工の証言を記録した映画「緑の海平線~台湾少年工の物語」(郭亮吟監督、2006年制作)が県 内で初めて横浜市中区の映画館で上映されたからだ。

 映画は、同工廠の写真や映像、呉さんら元台湾少年工のインタビューで構成し、彼らが戦中、戦後をどう生きたかを描いている。上映は1週間だった が、盛況だった。制作者側との質疑応答では客席から「こういう映画をつくってくれてありがとう」という声も上がった。呉さんにも、映画を見た友人たちから 「君たちがこんなに苦労していたとは知らなかった」といった電話があった。

 日本は、戦時中の労働力不足を補うため、統治下にあった台湾から優秀な少年を動員した。呉さんは、1944年、15歳の時に同工廠へやって来た。 「働きながら勉強でき、国のためになると思い、希望に燃えて志願した」。実際には、勉強する時間はなく、物も不足していたため、ボロをまとい、げたをはい て過ごした。しかし、「誰を恨むわけでもなかった。『お国のため』という気持ちで頑張った」

 64年に、元台湾少年工を集め、在日高座会を結成。97年には「台湾少年工の足跡を伝えよう」と大和市内に台湾式のあずま屋「台湾亭」も建立し、1997年、同市に寄贈した。

 しかし、メンバーが高齢化するにつれ、同会の活動は先細りとなった。地域でも台湾少年工のことを知る人は少なくなったと感じていた。そんな時に、祖父から台湾少年工の話を聞き、映画化を決めた郭監督から、協力を求められた。

 呉さんは「生の声で伝えることは難しくなったが、幸い、台湾少年工の存在を描いた、素晴らしい映画が残った。若い人たちにも、私たちが国のため、大和魂を持って戦ってきたことを感じ取ってほしい」と話した。(鈴木貴暁)

(「記者ノート」は今回でおわり)

(2008年12月29日 読売新聞)

From:台湾 降ろされた「国旗」


 23日、中国からプレゼントされた2頭のジャイアントパンダ「団団」と「円円」が台北市立動物園に到着したが、入園直前に奇妙な事が起きた。正門に掲げられていた台湾の「国旗」に当たる「青天白日満地紅旗」が突然、降ろされたのだ。

 同動物園は「前日に雨が降ってぬれ、乾かすために降ろした」と説明したが、不自然さはぬぐえない。パンダの台湾入りの模様は中国メディアが同時中継していた。台湾メディアは、動物園側が旗がテレビに映らないように中国側に配慮したと疑いの目を向けている。

 中台融和を掲げ、今年5月に発足した国民党の馬英九政権は中台交流拡大を進めてきた。今月15日には中台間を結ぶ初めての海運直航貨物便や直行 チャーター便、直接の郵便輸送が解禁され、長年の懸案だった「3通」(中台間の直接の通信、通商、通航)が事実上、スタートした。

 中台の交渉の過程では台湾側の中国への気遣いが目立った。一例は「3通」解禁を決めた11月初めの中台の窓口機関のトップ会談の日程だ。

 中国側の陳雲林・海峡両岸関係協会会長は11月3日から7日まで台北を訪問したが、米大統領選投票(11月4日)をはさむ日程には当初、疑問を感じた。世界の注目が米国に向かい、中台融和の演出効果が薄まるからだ。

 10月下旬開催の観測もあったが、台湾東呉大学の羅致政・政治学科主任(准教授)は「それはありえなかった」と解説する。辛亥革命(1911年)を記念する10月10日の双十節があるため、10月中は台北の街中に「青天白日満地紅旗」が飾られるためだ。

 さらに11月下旬にはペルーでアジア太平洋経済協力会議(APEC)が控えていた。この場を中台融和の舞台とするために、11月上旬のトップ会談日程が組まれたという。APECでは連戦・元国民党主席(元副総統)が台湾代表として初めて中国の胡錦濤国家主席と会談した。

 しかし、中国に配慮し、旗1本の掲揚にすら神経質になる馬英九政権に独立志向の強い野党・民進党と支持者は不満を募らせる。

 民進党支持者は歴史的に国民党の党章である「青天白日」がデザインされた「青天白日満地紅旗」を嫌ってきたが、動物園の一件では、民進党台北市議 が園側に「なぜ、降ろしたのか」と詰め寄った。陳会長の来台の際にも、民進党支持者がこれ見よがしに「青天白日満地紅旗」を掲げ、馬政権に抗議した。

 「3通」解禁で中台間の物理的距離は縮まることになる。しかし、感情的な距離は相当な開きがある。配慮や気遣いを必要とする交流は窮屈そうにみえ るし、台湾内部の不満を蓄積させることにもつながりかねない。09年は中台分断から60年を迎えるが、交流の行方はなお楽観できない。【庄司哲也】

毎日新聞 2008年12月29日 東京朝刊

福建省福州 台湾との直航便18日から運航

中国大陸側の対台湾窓口機関である海峡両岸関係協会と台湾側の海峡交流基金会は11月初旬に台北で行った会談で、両地間の交通交流強化などについて合意した。これにより福建省の福州長楽国際空港(=写真)では12月18日、台湾桃園国際空港への直航便が就航する。

蕭一傑 台湾の先輩“林部屋”から飛翔だ

 新人体力測定で必死の表情で腹筋をする蕭=甲子園
 新人体力測定で必死の表情で腹筋をする蕭=甲子園【拡大写真】

 阪神のドラフト1位・蕭一傑投手=奈良産大=(22)が、1月の入寮後は、母国・台湾出身の先輩・林威助外野手が今月まで使用していた部屋を引き継ぐことになった。

 他の新人とともに鳴尾浜・虎風荘を見学した蕭は「早く入寮したい。寮長さんが用意してくれたんですかね。うれしいです」と目を輝かせた。実際に、林が退寮したばかりの部屋に入り「扇風機だけ置いてありました」と話した。

 この日は台湾から両親も駆けつけ、久々の再会。「僕は年末年始に台湾には帰りませんが、早く目標である1軍登板を果たして、その時にまた呼びたいです」。

 台湾の公共テレビと、新聞社の自由時報も取材に訪れた。今後も、林同様に注目されるといい、祖国も阪神・蕭の初登板を待ちわびている。